日暮里Pilates・Osteopathy studio ciel clair 代表
桜井 雅明(さくらい まさあき)
オステオパス MRO(J) 、ピラティスインストラクター
1979年生まれ 東京都荒川区出身
ボディーワーク従事歴15年ほど
・Pilates Japan full-Certified Pilates Japan Instructor
・Marie-Jose Blom : Core Intelligence
・ジャパン カレッジ オブ オステオパシー卒業
・日本オステオパシー学会会員
・アメリカ ウェスト バージニア オステオパシー医科大学にて解剖研修
*MRO(J)とは、Member of Registered Osteopaths(Japan)の略で、日本オステオパシー連合が実施している筆記、実技の試験に合格した者に与えられ、安全性、知識、技術、倫理観を持ち合わせたオステオパスとして認定されていることを意味します。
経歴(略歴)
・法政大学卒業
・ピラティスジャパン(福岡県)にてピラティスを学び、Pilates Japan full-Certified Pilates Japan Instructor の資格所得
・ピラティスジャパン勤務
・ジャパンカレッジオブオステオパシー卒業
・MRO(J)所得
・立川オステオパシーセンター勤務
・2016年5月スタジオ シエルクレイル開業
私は中学生の頃は野球部、高校生の頃からストリートダンスを現在まで趣味として続けています。
様々な怪我の経験や無理な体の使い方のせいで、20代前半で腰痛、肋間神経痛、肩首痛、倦怠感などに悩みました。
そんな頃ピラティスとジャイロトニックに東京都内で出会い、自分で自分の体を一生メンテナンスできるようになりたいと考え、本格的にピラティスを教えている福岡県薬院(現在は天神の大名)にある、ピラティス ジャパンというスタジオに問い合わせ事情を話したところ、アドバイスをいただいたので、福岡に移住して本格的にピラティスを習い始めました。
それまで体を痛めつけて、痛みや不調があることが当たり前だと思っていた為、私の場合は体の変化に対して鈍感であり、今までの習慣や考え方を修正するのに普通の方より少し時間がかかったと思います。
しかし1、2ヶ月程した頃から体の変化を感じ始めました。
徐々に腰や背中の痛みなどが減り、体が疲れにくくなったのを覚えています。
良く友達から言われたのが、顔色が良くなった?(それまで血色が悪くて蒼白かったそうです)とか、背が伸びた?といわれた事です(それまでそうとうな猫背だったので)。
そして1年ほどレッスンに通い習ったところで、ピラティスの運動だけでなく、考え方の素晴らしさも体感し納得したので、インストラクターコース(4つのコース)を1年程かけて受け、理解を深め、Fully-Certified Pilates Japan Instructorの資格をいただきました。
そして、ピラティスジャパンで2、3年ほどインストラクターとして働かせていただきました。
人に伝える経験を積む事で、さらに人体やピラティスに対する理解を深めていきました。その頃先生方から、ピラティスを伝える事で逆に生徒さんからあなたは大切な事を教わる事になるから、しっかり受け止めて勉強しなさいと言われましたが、まさにその通りでした。
この頃の経験でピラティスを実践し体感する事と、伝える事の重要性を感じ、現在もピラティスの奥深さを学びながら、伝える仕事を続けさせていただいてます。
福岡に4、5年滞在してピラティスを学んだ後、家庭の事情もあり東京に帰り、家業に関係のある分野のサラリーマンを経験しました。
その頃ピラティスを伝える仕事も、サラリーマンの仕事後や休日にインストラクター業を続けていましたが、ピラティスでもなかなか改善しにくい方へのアプローチ方法や、運動以外の部分からのアプローチ方法も探しはじめていました。
そんな時にピラティスのように体を一つのつながりがあるものと考える、オステオパシーというものがあるのを知りました。
そして、本格的に学ぶにはオステオパシーの専門学校に入って学ぶのが一番よいだろうと考え、ジャパンカレッジオブオステオパシー(3年制)に入学しました。
始めの2年はサラリーマンをしながら学校に通い単位を取り、その後仕事をやめて学校に専念し、5年かけて卒業し、MRO(J)というヨーロッパ、オセアニア、アジアで使用される認定オステオパスの商標登録された基準であり、アメリカの手技療法を主体に治療を行うオステオパシー医師が構成する団体(AAO)の国際加入会員の倫理規定にも認められた基準の資格を所得しました。
オステオパシーはアメリカでは通常の大学を卒業してから、さらにオステオパシー大学に通わなくては習得できない学問ですので、私は通常よりも長く学校で学べたことで、じっくり腰を据えて勉強ができ、時間はかかりましたが結果としては良かったと考えています。
その後、立川オステオパシーセンターで2年勤務させていただきました。
オステオパシーの素晴らしさを日本に広めようと情熱的な先生方と働かせていただき、オステオパシーの重要性を多く学びました。
そして、やはりクライアント様が施術後に希望を持って元気になっていく姿を見続けることで、オステオパシーは素晴らしいものであると再認識することができました。
この経験がオステオパシーを続けようという原動力になっています。